【サンライズ出雲】ブルートレインの記憶

ブルートレインの記憶

小学生のころ、お年玉で時刻表を買った。飽きることなくページをめくっては、見ず知らずの土地に想いを馳せた。

5年生になった私は「友達と三人でブルートレインに乗りたい」と父母に話した。一蹴された。

が、次の日、父がこう言った。「瀬戸号に乗って高松に行きなさい。おじいちゃん、おばあちゃんが待っているからね」

うれしくて涙があふれた。

東京駅まで見送りに来てくれた父母に、最後尾の連結部の窓から思いきり手を振った。やがて父母の姿は見えなくなり、銀座のネオンに照らされては後方に流れていく線路を、いつまでもながめていた。ときおり先頭の機関車のかん高い警笛が聞こえた。

あれから48年の月日が流れた。今宵ふたたび寝台特急に揺られている自分がいる。窓から線路を眺めつつ、父母のことを思った。

後日譚

父母は時刻表をずっとながめている私をよく見ていたらしい。小学生だけの旅なんて、今どきでは考えられないことだ。しかも高松の祖父母宅に泊っただけではない。その後3人だけで道後温泉まで足をのばしたのだ。

父母は何とか私の夢を叶えてやりたいと思ったそうだ。親戚はもちろん、宿泊先のユースホステル、国鉄の各駅にも電話して、事前に話しておいてくれたらしい。そして父の名刺の裏に「小学生3人で旅行をしていますが、いずれの親も承知しています。緊急連絡先はxx-xxx-xxxxです」と書いて持たせてくれた。すべてが「初めてのおつかい」並みに用意周到だったのだ。

そんなこととは露知らず、仲良し3人組は達成感でいっぱい。自信満々で帰宅した。

ふと自分の父親ぶりを振り返るとき、父母に遠く及ばないなーといつも思う。元気なうちに全力恩返しをと思い、実行し始めたのはつい最近のことだ。親としても子としても足りないところだらけ。何とも恥ずかしい。

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